アギオス・ゲオルギオス聖堂(ロトンダ)
仏:Saint-Georges
テサロニキ(仏:Salonique)はギリシア北部にある都市で、ビザンティン帝国時代はコンスタンティノポリスに次ぐ第二の都市であった。
3世紀末、ディオクレティアヌス帝によって東の副帝に指名されたガレリウス帝は、テサロニキを本拠とし大々的に町を整備した。ロトンダ(円筒形の建物)と呼ばれるこの聖堂は、もともとはガレリウス帝の廟堂として建てられたとされている。4世紀初頭の313年にコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認。やがてテサロニキにもキリスト教が広まり、ロトンダもキリスト教の聖堂に改装され、アギオス・ゲオルギウス聖堂(聖ゲオルギウス聖堂)と呼ばれるようになった。
アギオス・ディミトリオス聖堂
仏:Saint-Démétrois
希:Hagios Demetrios
テサロニキには5、6世紀に創建された聖堂がいくつかある。最も有名で、町の中心的な聖堂とされているのが、アギオス・ディミトリオス聖堂(聖ディミトリオス聖堂)である。
聖ディミトリオスは名家の生まれでローマ帝国の優秀な士官だったが、キリスト教に帰依し、迫害にあっても信仰を曲げなかったため、槍で刺されて殉教した。キリスト教公認後、スラブ族など異民族の侵攻にさらされた時に聖ディミトリオスが町を救ってくれたとの噂が広まり、住民から信仰される聖人となった。
5世紀後半、この聖人に捧げる聖堂が建てられる。その後、7世紀に火災で損傷するが、再建される。
ビザンティン帝国滅亡後の1493年にモスクに改変され、<カシミール・ジャミイ>と名付けられる。
1820年代にアテネなどがトルコから独立してギリシアとなるが、テサロニキがギリシア領となるのは、それよりもかなり後の1912年であった。これによりアギオス・ディミトリオス聖堂もモクスから聖堂に戻された。
それから間もなく悲劇が起きる。1917年8月5日、テサロニキで大火災が起こり、アギオス・ディミトリオス聖堂も焼けてしまう。現在のアギオス・ディミトリオス聖堂は、その後再建されたものである。
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