2011年1月9日日曜日

聖シメオン修道院跡(アンティオキア近郊)

聖シメオン修道院聖堂跡
仏:Saint Siméon le Stylite


アンティオキア近郊のカラート・セマン(Kalaat Séman)ある聖シメオン修道院跡。
460〜490年の間に建てられたとされている。中近東における集中形式プランの唯一の事例。

初期キリスト教時代の修行者たちは、人里離れた荒野でひとりで修行を積むのが一般だった。シメオンはシリアの砂漠で修行をしていたが、彼のことを伝え聞いたキリスト教徒たちがやってくるようになったため、高い柱を建てて下界に降りずにその上で修行を行った。シメオンの死後、彼は聖人とされ柱頭聖人シメオンと呼ばれる。
シメオンが建てた柱を中心に、十字架状に組み合わせれた4棟の長方形の聖堂が建てられた。シメオンをあがめる巡礼者が押し寄せ、4つの聖堂をフル回転させて典礼を行ったとされる。

テオドリック廟(ラヴェンナ)

テオドリック廟
仏:le mausolée de Théodric

454年、ドナウ軍団騎兵隊長の息子で、コンスルとして西ローマの実験を握ったアエティウスが、皇帝ウァレンティニアヌスに暗殺された。そのウァレンティニアヌスも翌年に、帝位簒奪者ペトロニウスに手玉にとられて殺害され、ペトロニウスも、また近衛兵士に刺殺されると、西ローマは坂道をころげ落ちるように滅亡へむかう。簒奪者ペトロニウス殺害後は、ゲルマン諸族による帝位争いが激しさを増す。
473年、東ローマ皇帝レオは、ネポス某を西の皇帝として送り込むが、部下のオレステスの謀反にあってバルカン半島に退去する。オレステスは自分の息子ロムルスを帝位につけるがが、ゲルマン人で構成されたローマ軍団の叛乱でロムルスもろとも殺害され、ゲルマン人の一小部族スキラエ出身のオドアケルが王にたてられた。オドアケルは皇帝位を東ローマ皇帝ゼノンに返却し、476年、西ローマ帝国はここに滅亡した。
東ローマ皇帝ゼノンはやがて東ゴート族の王テオドリックにイタリア征討を委任した。テオドリックは困難な戦いのすえに、盟族西ゴートの応援を得て、493年、オドアケルをラヴェンナに追いつめて倒した。これにより、ようやく旧西ローマ帝国は落ち着きを取り戻したのであった。

このロトンダ(円筒の建物)は、東ゴートの国王テオドリック(Théodoric)を祀った霊廟である。

サン・タポリナーレ・イン・クラッセ聖堂(ラヴェンナ)

サン・タポリナーレ・イン・クラッセ聖堂
仏:la basilique Sant’ Apollinare in Classe
伊:Basilica di Sant' Apollinare in Classe




サン・タポリナーレ・イン・クラッセ聖堂は、ラヴェンナ郊外、かつての港町クラシスに6世紀に創建されたバシリカ式の聖堂。東ローマ帝国のラヴェンナ征服後、マクシミアヌスがラヴェンナ司教であった時代に完成しており、サン・ヴィターレ聖堂と同じく銀行家ユリアヌスが出資している。
この聖堂の内部もモザイクで飾られている。アプシスの半円ドームには中央にキリストを象徴する十字架が、その両側には右にエリア、左にモーセが描かれている。十字架の下には、ラヴェンナの初代司教であり、この聖堂の献堂聖人でもある聖アポリナリスが描かれている。

2011年1月8日土曜日

サン・ヴィターレ聖堂(ラヴェンナ)

サン・ヴィターレ聖堂
仏:Saint-Vitale




6世紀前半(ユスティニアヌス帝時代)に建てられた八角形のプランをもつ聖堂(サン・ヴィターレ聖堂の献堂式は548年、着工から完成までに20年以上かかったとされている)。17世紀にはサン・ヴィターレに付属して修道院がつくられ、現在は国立博物館となっている。
堂内は八角形のため横に広がりがあり、中心部には天井画(18世紀の作)が描かれている。突き当たりのアプシスとその周囲の聖域に6世紀のモザイクが残っている。
写真のモザイクは有名な皇妃テオドラの肖像。テオドラはユスティニアヌス帝の皇妃であり、共同帝でもあった。テオドラが手にしているのはワインを入れるカリスという杯。皇帝の印である紫のマントを身に着けており、その裾には<東方三博士の礼拝>の場面が刺繍されている。


サン・ヴィターレ聖堂に見られる集中形式のプランは、527年にコンスタンティノープルに建てられたアギイ・セルギオス・ケ・バッコス聖堂(Saints Serge et Bacchus)の影響が見られ、アーヘンの宮廷礼拝堂(Aix la Chapelle)に影響を与えたとされる。

富士山

白雪を冠した富士の山

白く輝く峰は神々しく、そして美しい

(大阪へ向かう新幹線の車窓より)

2011年1月4日火曜日

ガラ・プラキディア廟堂(ラヴェンナ)

ガラ・プラキディア廟堂
仏:Mausolée de Galla Placidia




ラヴェンナは東ゴート王国が首都としたイタリア北部の都市で、5世紀から6世紀に建てられた聖堂やモザイク壁画が多数残されている。
430ー440年頃に建てられた東ゴートの女帝ガラ・プラキディアを祀る霊廟。集中式プランとバシリカ式プランが融合した最初の例のひとつとされる。
内部はモザイクで飾られている。

ヴェネチアの教会堂

サン・マルコ大聖堂
仏:la Basilique Saint-Mars


海の支配者となったヴェネチアが1063年に着工。ギリシア十字状に配された5つのクーポラをもつ教会堂に影響を受けていると考えられる。

イスタンブールの教会堂

アギア・ソフィア大聖堂
仏:Sanit-Sophie
希:Hagia-Sophia

ユスティニアヌス帝がコンスタンティノープルに宮廷教会堂として532年-537年に建設。


アギア・イリニ大聖堂
仏:l’église Sainte-Irène



コンスタンティヌス帝のバシリカ

今年は、手がけている原稿の整理をかねて、カロリング建築から初期ロマネスク建築を紹介します。



サン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ聖堂
仏:La Basilique de Saint Paul Hors les Murs 
伊: San Paulo Fuori Le Mura

コンスタンティヌス帝がローマに建造した教会堂の一つ。4世紀末から5世紀の建物。


サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂
仏:Sanit-Marie-Majevre
伊:Santa Maria Maggiore

この教会堂もコンスタンティヌス帝が建造。4世紀末から5世紀に建てられた。
写真はこの教会にあるモザイク画。