テオドリック廟
仏:le mausolée de Théodric
454年、ドナウ軍団騎兵隊長の息子で、コンスルとして西ローマの実験を握ったアエティウスが、皇帝ウァレンティニアヌスに暗殺された。そのウァレンティニアヌスも翌年に、帝位簒奪者ペトロニウスに手玉にとられて殺害され、ペトロニウスも、また近衛兵士に刺殺されると、西ローマは坂道をころげ落ちるように滅亡へむかう。簒奪者ペトロニウス殺害後は、ゲルマン諸族による帝位争いが激しさを増す。
473年、東ローマ皇帝レオは、ネポス某を西の皇帝として送り込むが、部下のオレステスの謀反にあってバルカン半島に退去する。オレステスは自分の息子ロムルスを帝位につけるがが、ゲルマン人で構成されたローマ軍団の叛乱でロムルスもろとも殺害され、ゲルマン人の一小部族スキラエ出身のオドアケルが王にたてられた。オドアケルは皇帝位を東ローマ皇帝ゼノンに返却し、476年、西ローマ帝国はここに滅亡した。
東ローマ皇帝ゼノンはやがて東ゴート族の王テオドリックにイタリア征討を委任した。テオドリックは困難な戦いのすえに、盟族西ゴートの応援を得て、493年、オドアケルをラヴェンナに追いつめて倒した。これにより、ようやく旧西ローマ帝国は落ち着きを取り戻したのであった。
このロトンダ(円筒の建物)は、東ゴートの国王テオドリック(Théodoric)を祀った霊廟である。
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